錦織伸行後援会事務所-にしこり伸行-

~sightseeing(名所見物)からlifefeeling(生活を感じる)なまちへ~

「松江のまち」を愛するあなた…。
漠然とした不満、曖昧な気持ちに苛立ちを感じませんか?

にしこり伸行が、具体的に、自分の言葉で熱く語らせていただきます。
ご一緒にお考えになって下さい。

主に、市内中心部の商業活性化について

(1)商店街の活性化

「中心市街地の活性化」「商店街の活性化」って、よく言いますが、それって一体なんなのでしょうか?
そんな、素朴な疑問をもちませんか?

半世紀前のように「八百屋さんがあって、お肉屋さんがあって、お魚やさんがあって…、買い物かごをもった主婦が、お店の方と会話を交わしながら…」。

はっきり申し上げて、そんな商店街は「都会地のような人口集積」がなければ、あり得ません。

もっと申せば、今、生活している我々のうち、どれだけの人がそんな生活を知っているのでしょうか?

社会生活が大きく様変わりした現在、そのあたりをまず検証すべきです。

具体的には、飲食店などのように粗利益率の高い業種以外、今では路面店(道路に面して)での営業は厳しくなっています。

旧来の商店街を構成した「最寄り型」の商業集積は、中心部の人口集積が回復するまでの数十年間は恐らく困難だと思います。

むしろ、「買い回り型」「アンテナショップ型」「情報発信型」などの商業集積に移行すると予想します。

いわゆる「販売」も宅配、移動販売、ネット販売など、様々に間口が広がりました。

でもそれは、悪いことばかりではありません。

その代わりに、在庫を少なめたり、家賃や人件費のような経費を押さえるなどの工夫も可能になります。

また過疎高齢化が進み、自治会や町内会が弱体化していくことも、簡単に想像が出来ます。

とすると商店会、商店街の役割や期待も、従来の「経済面」だけでなく、「民政」への期待が高まってくることも見逃せません。

そうした試みや工夫を一緒に知恵を絞り、推進のお手伝いします。

(2)中心商店街イベントのあり方

今お話したこととも密接に関係しますが、多くの市民の生活は「平日よりも週末」「日中だけでなく、早朝から深夜まで」に変化してきました。

商店街イベントを、もちろん否定するものではありません。しかし、そこから生み出される効果は従来のものとは質や内容、つまり「狙い」が大きく変わっていきます。

イベントでの簡易な飲食以外は、新しいものへの「実験」「情報発信」「提案」の方向に大きくターゲット(狙い)を変えていくことが必要かもしれません。

また、水郷祭、食まつり、だんだん夏踊り、武者行列など、大がかりなイベントのあり方、取り組み方法も再検討すべきです。

そうしたお手伝いをしたいと思います。

(3)「半郊外地域」の修復~例えば「乃木駅」周辺の活性化~

旧市内中心部(旧城下町)に次いで基盤整備が進んでいるのは、乃木、津田、川津などの新市内各所です。

しかし旧城下町よりも、駐車場などの余剰面積は残されています。

例えて言えば、「JR乃木駅」は安来市の中心部の「JR安来駅」よりも乗降者数は多くを数えます。

「JR松江駅」より「JR米子駅」の方が、通年の乗降者数が多いのはご存知でしょうか?

更に申せば、前面の狭隘な土地や道路の再整備以外に、北側の後背地の「卸団地」も注目されるべきかもしれません。

流通業の変化、進展に併せて社会の業態も変わり、地方の卸売り業界も衰退してきました。

しかし、「JR乃木駅」周辺の魅力やアドバンテージ(長所)はまだまだ、豊富です。
北と南の往来を工夫し、用途が変更できなければ工夫を重ねて、活性化をしていきます。

この事例に限らず、周辺整備の仕方は、地域性、特色に目をむけた創造力が必要になります。
そんなご相談は、「まちづくりの経験」を活かしてお手伝いします

(4)税金の使い方や新しい税金の検討、見直し

市内中心部の活性化の切り札は、「楽市楽座」です。

もしも、「固定資産税を中心部だけ免除」したら、一気に活力が導入されていきます。

今の市内中心部は、反対に高い税金を払って、その分、他に回しているのが実情です。
これでは、活力が逃げてしまうのは当たり前です。

でも、織田信長が生まれたのは500年も昔ですね。また、現実の今の法制度的では「楽市楽座」は困難です。

であれば、その分、もっと市内中心部への投資を集中すべきです。

郊外の土地の用途変更を停めただけでは不足です。

例えば、松江市は市民にほとんど公報していませんが、「ボートピア松江(場外舟券売り場)」の収益のうち相当額(最高時、1億円位/年間)が、毎年、入金されています。

しかし、実はこれは「周辺環境整備費」という名目で、白潟地区を中心とした本来は「市内中心部」に投下する約束のものなのです。

実際に、二十年前にはそうした地元説明をなされています。

目的を明確にした税の検討や見直し。そうした検討は当然なされるべきと考えます。

主に地域の安心安全について

(5)中心部への移住政策

我々の生活を身近で見守る公民館制度は、戦後の人口拡大期(人口ボーナス期)、景気の上昇期に整備されたものです。

そうした制度は、昼間に自由に動ける人が沢山いた時代の話です。

人口減少期(人口オーナス期)の地域の支え合いはどうすべきでしょうか?

地域全体が「老老介護」の今、自治会長の立場で検証、提言します。

そのひとつは、民間企業若い力の導入しかありません。

例えば、大学生の中心部の移住、定住政策は、もはや「社会的要請」とさえ言えます。

中心部への移住政策(住居、交通手段など)、助力を積極的に提案、要請していきます。

(6)「継続性」のある「新しい介護政策」の提案

平成29年4月から始まる「新しい介護政策」が、先般来、盛んに公民館区ごとに説明、協力依頼がなされています。

しかし、それは旧来の「福祉」「ボランテイア」的な要素が強く、果たして「継続」して運営が可能かは大いに疑問を感じます。

縦割りを外した、もっと想像力豊かな運営でなければなりません。

「経済」や「営利」があるからこそ、「継続」が可能です。

商店会など、多様な業態を集めた組織とすき間に入り込む民間の知恵を利用して、役所的な枠を超え、「継続」可能なものを計画提案します。

(7)非現実的な防災対策や訓練

日曜日など休日昼に行われる防止訓練などは、あくまでその時間帯のものです。

例えば、圧倒的に時間の長い「平日の昼間」を想定したら、如何でしょうか?

郊外や周縁部の地域は、高齢者や子どもしかいない状況となります。そうした想定はしなくてよいでしょうか?

当たり前ながら、中学生の皆さんにも大きな役割が期待されます。

(8)橋南部の防災指揮所(サテライトセンター)の設置

万一の場合、松江市南北を繋ぐルートは、耐震性を考慮すると「宍道湖大橋」「くにびき大橋」「だんだん道路」の三本になるかもしれません。

更に、松江市の防災部は、緊急時の橋の通行は「緊急車両のみの通行規制」をかけるのかもしれません。

とすれば、南北が実質的に不通になり、東西の交通も完全に機能しなくなることを想定すべきです。

また低地で、原発から近い今の松江市役所より、諸条件に優れ、警察、病院、交通局などの公共機関、更には高速道路との連携に優れた平成団地周辺に、万一の時の「サテライトセンター(防災指揮所)」を置くのは、当然であると提言します。

(9)橋北部の水源確保

松江市の橋北部は、一部の簡易水道や溜池を除けば、真水は新大橋の下のラインに頼っています。

万一、それが遮断された場合の「長期間に渡る備え」を、もっと考える必要があります。

(10)今、そこにある危機

県庁所在地で原発を持つ全国唯一の都市が松江市です。

まず原発の運転は、電力会社さんに常に技術を高め続け、事故のないような運転を更に要請します。

一方で、多くの市民の皆さんはお忘れですが、美保関町、高尾山の航空自衛隊の分屯基地があります。

ここにある優秀なレーダー基地は、我々の、いや日本、広くは東アジアの安定と安全を守るために二十四時間、365日、睨みを効かせてくれています。

しかしレーダー基地だけでは、このところの北朝鮮からの飛来物や中国の領空侵犯の監視、発見は出来ても、果たして万一の場合、松江市民の直接の安全を守れるでしょうか?

防衛省は、万一の場合の守りは山陽や四国の機動性に優れた部隊の移動で対応すると言っています。

しかし、御存知の通り、島根半島の海岸線に行くと、諸外国からのものと思われる沢山の漂流物を目にします。

そうした地理的条件、国際情勢や偶発的な侵犯、難民などに対して、「日本海に面した松江市の美保関町、島根町、鹿島町などの長い海岸線の防衛、警備」に不安を感じられませんか?

対空防衛や海岸線の防衛の為の部隊や装備の充実を、「島根県松江地区防衛協会副会長(会長代行)」として、従来以上に防衛省に積極的に働きかけます。

(11)松江市民病院ガンセンター

今春、大変な予算と時間を掛けて開業しました。

けれど、一方では本当に地域の広い信頼を得るには、まだまだマンパワーを充実させていかないといけないという専門家の意見も耳にします。

また、社会とがんセンターを繋ぐ要素はリハビリ施設や緩和ケア病棟しかありません。

しかし経験者として、がんなどの大病に掛かったひとが退職せず「社会復帰」する意思を持ち続けることは、重大、いや強力な回復要素でもあるのです。

二人にひとりが罹患すると言われるがん。

そうした人を、医療やリハビリ施設で支えるだけでなく、精神的、実務的にサポートする本格的な「オフイスセンター」が見えないのは何故でしょうか?

「社会⇒がんセンター⇒緩和ケア」だけではなく、「社会⇔オフイスセンター⇔がんセンター」も、外せない考え方です。

がんの体験者(ステージ3)として、そうした提言もしていきます。
また、市民により近い医療施設(市民病院)としての日常の医療のあり方も考えます

(12)公共交通の見直し

路線、バス停の表示などの見直し以外に、「ターミナル」に於ける同一料金での乗り継ぎ方式を検討します。

具体的に言えば、「松江駅」「松江しんじ湖温泉駅」「県民会館」などをターミナル化して乗り継ぎ方式で、バス間隔を短縮したり、利便性や選択肢の向上を提案します。

主に社会福祉、教育について

(13)「子どもの貧困」を考えます

「子ども食堂」「奨学金地獄」など、「子どもの相対的貧困」の問題が叫ばれています。

果たして、それは目先だけの「子ども食堂」、冷静な議論の欠けた「無償奨学金」の導入だけで済むのでしょうか?

「子ども食堂」は、広い意味で子どもたちの「心身のプラットホーム」の役割を果たさねばなりません。

また、「奨学金」や「高等教育」の問題は、まずは適正な初等学力を付けてやるところから始まります。

私たちの松江市も、昔と今では子どもたちの経済状況に大きな差が生まれ始めています。

国政、県政と違い、市民にとって身近であるけれど限られた予算と権限しかない市政は、「身の丈」を大切にし「継続性」のあるシステムを考えます。

本来、無償であるはずの小中学校の学校給食などの経済的負担を考えます。

(14)保育制度の選択肢の検討

「保育園問題」がクローズアップされた途端、全国一斉に保育園が建設されています。

国からの補助率が大きいせいか、松江市も保育園が増設されています。これは決して悪いことではありません。

でも、少子高齢化、人口減少を一方で公言するお役所は、将来の保育園余りをどう考えるのでしょうか?

また、「主役」である子どもたちを預かる質の高い保育士さんの確保は追いついていくのでしょうか?

施設は不要なら、壊せば済むかもしれません。しかし、保育士さんたちのその後の人生はどうなるのでしょうか?

また、お母さんによっては「経済的理由」が大きく、意に反して子どもを預けなければならないという方もおいでだと思います。

そういう方は、自分の収入と保育料の差額を「保育手当」の形で支給されたならば、子どもと過ごす時間を最優先したいとお考えかもしれません。

保育園の新設も大切ですが、保育園と保育士さんの経費を保育手当と天秤にかけて、どちらが将来に渡って財政的負担が少ないのかを検証することも必要です

(15)食育と学校給食

学校給食制度は、日本の優れた教育制度のひとつです。

しかし、その役割は栄養補給が主目的であったスタート時と比べて、大きく様変わりしました。また、我々を包む社会、文化の環境も異なり、子どもたちの体質も変化してきました。

これからの学校給食の「食育」としての役割は、どうあるべきでしょうか?

将来を担う子どもたちにどういう考え方を教えるべきでしょうか?

はっきり申して、「栄養」教育から「環境」教育へ転換すべきです。

限りある資源を活かし、自然との共生、人間も地球という生命体の集まりのひとつであり、「自然の環境を整えることこそ、我々の健康維持に繋がる」という意識を養うべきです。
 
具体的には、受け身的な地産地消ではなく、むしろ地域に対して、そうしたものを要請する施策や添加物の少ない安全な食品の導入などを提言します。

松江市全体の「統一的な給食メニュー」も、再検討します。

また栄養士以外に、本来の調理の知恵をもつ地域の調理師会などとの連携を図ります。

更に、月額で六千円程度(中学校)の給食費の検証もします。

(16)地域を愛する気持ちを養うことは、無形の投資であり財産です

ようやく小学校の子どもたちに、松江歴史館などを中心とした愛郷教育の充実が図られるようになりました。

地域を愛する人材を育成することは、この地に残って直接的に貢献するだけではなく、様々な理由で他の地域で活躍する人材が間接的、限定的であっても松江市のために尽くしてくれる余地を生むものであります。

(17)郷土の偉人の顕彰

愛郷教育の第一歩は、「郷土の偉人」の顕彰です。

具体的には、山陰ケーブルビジョン放送製作の「先人の足跡」などの、わかりやすい番組の利用などの導入協力を検討します。

また、文化、スポーツ、学問など幅広い分野において活躍した若者に、「小泉八雲」、「岸清一」、「梅謙次郎」などの郷土に関連した先人を冠にした賞を創設して、誇りと励みを持てるような環境を整えます。

(18)学生が魅力を理解し参加したくなる地域に

毎年、一千人の卒業生を排出する島根大学は、昔と違い、その卒業生の7割以上が県外出身者です。ご存知でしたか?

地域は、そのマンパワーを活かすことなく、また学生は松江の魅力を深く知ることなく松江の地を離れていきます。

現在、大学や諸団体と連帯して、松江市内の企業紹介をしていますが、一時的に企業を知ってもらうだけでは時間不足です。

一方、「地域との繋がり」を求めている学生も沢山います。

四年間かけて地域の魅力を理解してもらうこと、地域に参加してもらうことが大切です。

彼らが中心市街に出掛けたり、居住するための利便を図る為に、「松江駅=島根大学」の直行スクールバス(無料)を検討します。

具体的には、ノンストップで学生証の提示による無料化、そして二台程度の往復により二〇~三〇分程度の間隔を理想とします。

(19)学生の為の住居

基盤整備が充実している反面、過疎と高齢化の進む中心地区に学生が住み、地域の活動に参画してくれるような「モデル地域」を作ることを計画します。

その条件整備には、⑱で述べた「中心部と大学との通学の足」を保証してやることに加えて、住宅(古民家等)の整備が絶対条件です。

(20)退職者の雇用とリトライ(再挑戦)する精神の育成

現在、高校生などの学習塾は、沢山あります。

しかし、子どもの貧困のなかで問題なのは、経済以外に初等教育での学習面の遅れです。

退職教員や民間の塾教師など、有料、無料を含め、自由に教えられる課外の場所を整備していきたいと思います。

従来の学校という温室から出た教師同士の競争も生まれるかもしれません。

学校の枠にとらわれない大人との接触は、子どもにとっても刺激があるかもしれません。親が勤めの為に家におらず勉強が進まない子どもにとって、そうした工夫でしっかりした初等教育の基礎を固めることは大切なことです。

(21)現場感覚の養成

すでに10年以上、有償ボランテイアで、一部の公立小学校で年に何日か「表現指導」に出向いています。
これは、学校の優れた部分や個性などの理解にとても役に立っています。
同様に、将来、もしも許される立場を頂ければ「市立のすべての小中学校の現場の訪問(視察)」をやり、問題点や改善点、そして応援すべき点を見つけていきたいと思います。

主に観光について

(22)松江の正面玄関である「JR松江駅前」の充実

JRで松江駅の改札口に降り立った方、高速長距離バス、空港バスで松江に到着した方、そうした遠来の観光客の方にとって、大げさに申せば、「観光案内所の存在」はわかりません。

具体的には、JR改札口付近の「観光案内所の掲示」の充実、「バス停の移動」、松江テルサ一階の「アトリウムなどの利用方法の工夫」で、観光客の利便を図ります。

(23)観光マップの内容見直しと配布方法、場所の再検討

現在の観光マップはそれぞれの施設や地域に特化したものが多く、松江市の観光の概略がひとめで把握することが困難です。

また、ベスト版ともいうべき「水の都『松江』」は、想像するに予算等の問題があるのか、一般的にはほとんど目にしません。

更に、概略を案内するものなかには、国宝「神魂神社」の抜けているものもあります。

そして市内の飲食店が日祭日営業の少ないのは致し方ないにしても、そうした情報提供がほとんどなく、ご不便をお掛けしています。

まずは、他の観光地で見掛ける安価で大量配布可能なガイドマップの作成や設置を再検討します。

(24)観光バス(レイクライン)の見直し

1日乗車券は、レイクラインバスだけに限られています。しかし、レイクラインは一方向のみの周遊のため、限られた時間での移動に不便があります。

例えば、松江城から松江駅に行くのに、路線バスなら10分で済むところが、大きく迂回するため20分以上かかる場合もあります。

路線バスとの乗り継ぎを検討します。また定期観光バスの役割を兼ねているレイクラインバスでは、特定の停留所では停車時間をほんの少し延ばすだけで、観光案内をビジュアルに聞けます。

また現在、「wifi」の案内が不足しています。停留所、車内でも周知を図るだけではなく、移動する車内でも不便を感じないように「QRコード」を導入します。

そうした決めの細かな車内観光を提案します。

(25)「wifi」環境の整備

大都市や観光都市では、市内各所でパスワードなしで「wifi」に自由に接続出来る環境が整備されています。

今の、松江市の「wifi」環境の再検討をします。

(26)新しいニーズへの対応と積極的な戦略

多様な観光ニーズに合わせて「民泊」や「ゲストハウス」などが求められています。

インバウンド観光客(海外観光客)が注目されています。

松江市のふたつの温泉街や駅周辺の宿泊施設は、それぞれに特長もあり優れています。

しかし、もっと多様で新しいニーズも出てきています。

先進地を視察すると、適切に対応した地域と無関心であったり、逆に規制しすぎた地域との差が大きく分かれつつあります。

松江市周縁部を中心にした「くにびきジオパーク」などの観光プロジェクト計画は、都市型、旧来型の観光とは一線を画し注目されています。

それだけに、新しいニーズへの対応を促すだけでなく、積極的な戦略を練ります。

(27)公共施設の再利用

前の項の宿泊施設充実の為、長期滞在者を想定したリーズナブル(安価)な宿泊施設として、利用の低い(廃止)施設を再活用を図ります。

(28)ふたつの国宝(松江城、神魂神社)を中心とした地域観光戦略

松江城を中心とし京都のような都市型の「旧松江市橋北地区」。

神魂神社を中心とし奈良のような田園型の「旧松江市南郊地区」。

このふたつの地域の特性は、京都、奈良にはない地域の魅力を懐深いものにしてくれています。

更に、地理的に離れた両方を繋ぐ「松江駅、大橋川、繁華街、そして日本一の宍道湖と夕日の美しさ」などなど。

これらを、初めての観光客にも要領よく伝えていきます。

その為には、そうした整理した情報発信が必要です。

また、バスに拘ることなく、タクシー、レンタカー、自転車など多様な移動方法を提示して、限られた滞在時間の利便と充実を図ります。

(29)そのときしか観られない神事を広報

ホーランエンヤ、鼕行列などの伝統神事、水郷祭などの地域行事の映像を、テルサなど観光客の目につく場所で広く広報し、リピーター(再訪)を促します。

(30)世界に発信する「国際文化観光都市、松江」

世界的な文豪「小泉八雲」の英文は、その内容だけでなく美しい名文で松江の魅力を世界に伝えてくれました。

ホテルの部屋に聖書を置くように、宿泊施設に「知られざる日本の面影」などの日英併記の書籍を配布し、地域の魅力をより深く伝える努力をします。

(31)あっぱれくん、しじみ姫の見直し

彦根市の「ひこにゃん」を見るまでもなく、観光産業に於ける「ゆるキャラ」の果たす役割は、非常に大きいものです。

果たして、現在の松江市の「ゆるキャラ」が、観光の広告ツール(手段)として適切かを再検討します。

(32)歩く市内観光と市民の観光コンシェルジュ(案内人)

裁判所前の道路の拡幅は、市内中心部の人と車の流入を増やします。

であれば、そうした都市プランを進めた松江市にそれ相応の対策を要請します。

まずは、「駐車場の整備」です。そして、安心して歩ける「観光」の促進をすすめる義務が松江市にはあります。

例えば、「堀川遊覧船乗り場~松江歴史館」の土日祝日の(関係者を除く)車両通行止めと道路上のフリーマーケットなども検討します。

安心して歩ける道は、観光都市としての格が上がるだけではなく、出展者との会話も膨らみマニュアル通りの観光案内とは異なる魅力を生みます。

また、外国人観光客にとってのガイドの手助けにもなります。

(33)多様な文化への対応

大型の浴場に於ける「タトゥー(入れ墨)」など習慣の違いへの対応だけでなく、言葉が通じにくく、保険制度に加入していない外国人を対象とした医療ガイドやトラブル防止、解決などの施策の検討をします。

(34)伝統文化の促進

楽山公園の整備は、大名庭園というだけではなく、近くの楽山焼やお茶の文化と併せて、「不昧公記念事業」にあわせて、追加整備があっても良いと思います。


おしまいに

今から約120年前、明治23年4月4日にラフカデイオ・ハーン(小泉八雲)が来日しました。

ひとりの外国人ジャーナリストであった彼が、やがて世界的な文豪になっていくのには、日本、特に松江の文化、自然、そして「人」との出会いや発見がなければありえなかったことだと思います。

つまり彼が本当に感動したのは、松江の町や文化の美しさだけでなく、この地に済む我々の先祖たちの優しさやたおやかさ、柔軟性であったように思います。

戦後、京都、奈良の両市と並んで、松江市が「国際文化観光都市」の冠を受けることが出来た大きな要因は、一説には小泉八雲が美しい英文で松江の素晴らしさをその人情や暮らしぶりとともに、世界に発信してくれたお陰とも言われています。

松江の町は、京都のような雅た華やかさを持つ松江城周辺の橋北部と奈良のような鄙びた田園や野山の残る古墳や神社の点在する南郊部のふたつの魅力を併せ持っています。

敢えて付け加えるなら、そうした外見だけではなく、お茶やお菓子に代表されるような文化をよそ行きではなく、生活の一部として溶け込ませ、馴染ませ、市民が楽しんているところにあるように思います。

日本一のシジミを毎日当たり前のように頂き、世界一の夕日をイヌの散歩の途中に何の不思議もなく眺め、高校生たちは国宝のお城の傍の、美しい堀端を通って毎朝通学しています。

そんな、てらいも変哲もなく、過ごす緩やかな時間は、現代人の忘れていた「蘇りの力」まで呼び覚ましてくれているような気がします。

小泉八雲が来日した当時の日本は様々なものが右肩上がりの時代でした。

それが、今は、収縮の時代に入り始めました。

とすれば、これからの時代は、「共生」と「継続性」が何によりも大きなキイワードになるかもしれません。

英語では、「観光」という言葉は「sightseeing(名所見物)」と申します。

けれど、これからは、その地、その場所での「lifefeeling(生活を感じて愉しむ)」へと移り変るのではないか…、そんな予感がしております。

小泉八雲は、私たちの「松江市」を表して、「知られざる日本の面影」「神々の国の首都」など語ってくれました。

何と詩情性豊かな表現をしてくれたことでしょうか。

幾つかの宗教では、「神」の聖地が「エルサレム」であるとされています。

同じように「松江市」は「神々」の聖地であり、未来の我々や子どもたちの生き方を表現する「首都」になれるような気がしてなりません。